不在の巣

なろうで小説を書かせてもらっている馬込巣立のブログです

SSSS.GRIDMANの完結から自分なりに考えた『完結』の在り方

 こんにちは。馬込巣立です。

 

 何かと話題になった作品なのでご存知の方も多いかと思われますが、昨年10月~12月に「SSSS.GRIDMAN」というアニメが放送されていました。

 具体的にどういった背景を持つ作品なのか、どういった内容なのかについての詳しい話はこの記事では割愛させていただきます。今回私が話したいのはそこではないのです。

 

「じゃあ何を書くつもりなのか」と申しますとですね、まあ情けないことにいわゆるアニメロス状態に陥ったわけでして。奇しくも同じアニメ制作会社「TRIGGER」から出ている「キルラキル」以来のロスとなっております。

 そこで自分も素人ながら物語を作っている身として、「物語が終わるとはどういうことか」というのを考えてみたくなったわけです。

 

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 それで2月に入った今、つまりロス一ヶ月目。

 自分なりに出した答えとしては「物語は先へと続く道が無くなった時点で終わりである」というところにまとまりました。

 

 これだけだと「そりゃそうだろ」で流されるのでもう少し踏み込んだ話をします。

 

 例えばライトノベルが原作のアニメとかはわかりやすいのですが、ああいったアニメ作品はその多くが基本的にまだ続く余地を充分に残して終わります。原作がまだ終わっていないのならある種当然ですね。

 これは本当に良くも悪くもなので一概に「だから良い」とも「だから悪い」とも言えません。そういう構造で作られているものであり、それが良作になるか駄作になるかは製作陣側の熱意と原作が元々持っている面白さの二つ次第といったところでしょう。

 つまりその場合はアニメが終わっても原作に該当する作品は終わらない、つまり物語はまだ生きている状態なわけですね。

 

 ではオリジナルや原作完結済みのアニメはどうか、となるとまあ大体がそれ以上先に進みようのないところにまで物語が到着するんです。

 例えば「魔法少女まどか☆マギカ」は12話にて暁美ほむらが再びループする可能性を排除していますし、「ゼロの使い魔」は平賀才人とルイズ・フランソワーズの二人を魔法が存在する戦争に巻き込まれる展開から隔離しています。

 グリッドマンもそういった内容で、少なくともあの世界であの主人公が怪獣と戦う展開は二度となくなったわけですね。

 多くの場合は最終的に帰結すべきポイントまで進んで、戦いをテーマとするなら「これ以上戦えなくなる」ところまで、恋愛をテーマとするなら「メインヒロインとの繋がり」までを完成させます(この時、「新たな戦いの火種」やら「何らかの事故で離別する可能性」は話の展開について論ずる上で不必要です。「彼らにこれ以上の未来があるかどうか」は「物語の帰結」と無関係なのですから)

 

 

 で、私がグリッドマン完結によってロス状態に陥っているのは作品自体の素晴らしさもあるのですが、同時にとことん「終わった」作品だからというのも一つの大きな要因なのだと思っています。

 

 アニメ最終回の終盤にて、宝多六花は親友であり世界を構築した神でもある新条アカネにとある一つのお願いをします。

 

「私はアカネと一緒にいたい。どうかこの願いが、ずっと叶いませんように」

 

 このセリフによって彼女は、閉じられた部屋から脱却しようとしている親友の背中を押したわけです。

 そして同時にこれは新条アカネが電脳世界に帰還する展開の明確な否定でもあります。

 このお願いがあることによってグリッドマンと怪獣との戦いのみならず、六花とアカネによる二次創作にありそうな「あの教室で二人一緒に笑いあえる日」などという甘い日常も二度と来ないことが決定されたんです。

 これは本当に見事な決着のつけ方であり、それまでエンディングで二人が仲良くしている様子を演出していたのも相まってその過程を知っている人々の中に極めて強力な感動を生み出します。

 

 つまりこの「SSSS.GRIDMAN」という作品は、日常と非日常を同時に完結させているんです。

 

 先ほど例に挙げた「魔法少女まどか☆マギカ」も、そういう意味では似ています。暁美ほむら「日常」を象徴していたまどかは消え、「非日常」を構成していた魔女もいない。

 それでも私がまどマギにロスという形で喪失感を覚えずにいられたのは、二次創作などによってある程度確立された「概念となったまどか」というキャラクターの存在がまだほむらとまどかの繋がりとして残されていたからなのだと思います。

 しかし、グリッドマンの場合は六花のお願いが徹底してアカネとの繋がりを拒絶しています。もうこの物語には「二人がまた出会って笑いあう未来」が存在しないし、存在するだけの余地も残されていないんです。

 

強い繋がり」を持つ者同士が離別するという物語の終わり方は見る者に対して全く容赦しませんが、同時に美しい結末だと思います。

 

 そしてグリッドマンはその離別をとにかく明確に残酷にしっかりと描いた上で物語を終えました。

 この神経質なまでの喪失感ってここ数年のサブカルチャーでは珍しいような気がしますね。最近の作品で共通しているのはChaos;ChildのSilent Sky Endくらいでしょうか。

 私も実のところちょいちょい知ってるだけでまだ触れていない有名作品があるので、他の作品でも「こういうのがあるよ!」というのがあればネタバレは伏せて教えていただけると喜びます。ネタバレされると嘆きながら何だかんだ見るかもしれません。

 

 では最後にまとめを。

 

 一枠で良いから毎クールこういうアニメ作ろうぜ。

 

 現場からは以上です。それではまた次回お会いしましょう。