ローソンの新パッケージについて言いたいことを言う
こんにちは。馬込巣立です。
最近ローソンの新パッケージに関する話題をそこかしこで目にします。
まあちょっと旬が過ぎた感じしますけど、私も連載作品をキリのいいところまで書き終わったりTRPGで初のGMを務め終えたりして結構体力を使ってたので触れる暇がなかったのもあるんです。そこはどうかご勘弁をば。
肯定的な意見としては「オシャレである」「部屋に飾っておきたい」、否定的な意見には「商品名が見づらい」「他のと見分けがつかない」など言われていて結構賛否あるようです。
個人的にはローソンを普段使わないのもあってこの事象に関わることがあまりないのですが、ネットでこの件について調べていく内に気になった点があったんですね。
それは「デザイナーの佐藤オオキさんに罪はない」という意見が結構多く見られたことです。んなわきゃあるか。
なので今回、この件に対する私の意見を述べていこうと思います。
先に申し上げておくと今回の記事では佐藤オオキさんへの批判を多く含みます。ただそれでもこの記事に限ってはできるだけ多くの人に最後まで読んでほしいのです。
感情的に受け付けない部分も当然ありますが、これに関しては自分も発信していかなければならないと判断しました。
可能であれば拡散してください。この記事だけ読んであとは読まなくても構わないので。
◆「デザイナーに責任はない」「デザイナーに罪はない」、なぜそう言い切れる?
もちろんデザイナーが全ての罪を背負うべきではないのはわかりますよ。ローソン側も頭抱えるレベルでしょうもない判断したと私だって思います。
ただ今回の佐藤オオキさんを擁護する意見を見ていくと、具体的には以下のような理由でそう主張しているようなんですよね。
・悪いのは企画を通した企業であってデザイナーは言われた仕事をこなしただけ
・デザイナーの意図や意見が反映されずあのような形になってしまった
・最初からあのデザイナーを起用してあのデザインを通した企業が全て悪い
要約すると「依頼した企業が無能だっただけでデザインした人を責めるのはお門違いである」って話が展開されていました。
ただここまででわかる人はわかると思うのですが、この件って依頼内容も企画会議の議事録も公表されてるわけじゃないんです。上の意見全っ部言ってる人らの主観的意見でしかありません。
※本記事を執筆したのが2020/06/10の09:40頃、更に筆者はローソンPBに関するハブライブ を未視聴の立場です。何か間違いがあるようでしたらご指摘いただけると幸いです。
例えば佐藤オオキさんが持ってきた案のほぼ全てが論外と言えるようなものばかりで、もう依頼し終えて後に引けなくなった状態で仕方なくあのデザインを選んだ可能性だってあります。もちろんそうじゃない可能性もあるのでこれが正解であるとも言えません。
そしてそんなものを企業が公表するわけないので、我々部外者は依頼と企画の内容について「不透明である」以上の認識を働かせられない立場なんですよ。
だから私が「いや、佐藤オオキさんにも責任はある」と断言するのもあくまで外部に出ている情報を元にしての意見であると先に明示しておきます。少なくともこちらは力関係がどうとか依頼された通りにやっただとか言える立場じゃないので。知らねえもんよ。
◆食品でなければそこまで気にしていない
例えばこれが「シャンプーとコンディショナーのデザインがややこしい!」みたいな話なら私は「ありゃりゃやっちまったな」程度の認識でいたと思います。それこそデザイナーは悪くない、と今回とは逆の意見を述べていたかもしれません。
または「近所の文具店でリニューアルされたメモ帳とノートのデザインが変わらない」程度ならそもそも話題にすらならないでしょう。別に同じでも困らない部分ですから。
ただ、今回あのデザインになってしまったのは食品と飲料なんですよ。
仮にこれで間違った食品・飲料を購入し、そうと知らずに口にしてアレルギー症状を引き起こした場合最悪死にますよね。
もしくは極端な話をすると、脱水症状を恐れて利尿作用のない麦茶を日常的に愛飲していた高齢者が間違って烏龍茶を買ってしまったとしましょう。それで味覚も弱っていてそれが烏龍茶と認識せずに飲んでしまい、寝ている間に排尿して、最近は気温が高くなってきたのも相まって脱水症状を引き起こしてしまったとなればこれも最悪死にます。
または私のように「胸焼け起こすからオレンジジュースとヨーグルトはなるべく口にしないように」と忠告を受けている人がお茶と間違ってオレンジジュースを飲んでしまい、逆流性食道炎を起こしてそれが食道がんに繋がればこれまた最悪死ぬんです。
ここまで私が例示した話を「そんな極端なケースを出されても」と言う人がいるかもしれません。
でもその極端なケースが生じる可能性をローソンというブランド力が増幅しているんですよ。全国どころか海外にまで店舗を展開している大企業なんですから。
仮に企業から投げつけられた仕事であっても自分の仕事が他者の命を奪う可能性が高いとなったら断るのもデザイナーの判断の一つではないんですか?
もちろんクライアントの意見が絶対であるパターンもあるのでしょう。相手はローソンなわけですから、自分の意見を一切聞いてもらえないということもあり得ると思います。
しかしそれならそれで、力関係が明確であるにしても今後の自分への評判、信用に関するリスク管理をするのが仕事というものだと思うんです。それを弁えて初めて「自分は仕事をこなしただけ」って言い分を口にできるんですよ。
自己防衛の意味も含めてデザイナーは「自分のデザインでどのような事態になり得るか」を考えるべきだと私は思います。
そこの認識が欠けている時点で、私には佐藤オオキさんの仕事が高校生のノリにしか見えません。
◆「デザイナーは言われた仕事をしただけ」という言い分に対して
この意見こそ本当の意味で佐藤オオキさんを最大限に侮辱しています。
これ言ってる人ら、もしこのデザインが要因となって商品の売れ行きが良くなったら今回の騒動での発言を踏まえて「佐藤オオキの功績ではない! ローソンの企画が優れていた!」って言うんですか?
それともちゃんと高く評価されて売れ行きも伸びたのを見て「佐藤オオキは素晴らしいデザイナーだ!」とでも言うんですか?
少なくとも後者は成立しませんよね。だって決めるのは企業で全ての責任を持つのも企業って主張してるんですから。
じゃあ佐藤オオキさんはいつ、何を根拠に評価されるんですか?
まさか一生素晴らしくない人間のままデザイナーやってくんですか?
これは実体験ですけど、派遣社員だって他の人が嫌がる仕事を率先してやるように意識してれば現場で「おお、頑張ってるね」って周りから言われるんですよ。その程度の評価すら得られないんですよね、企業が全ての責任と権限を握っている場合。
流石にそれは彼の仕事を馬鹿にし過ぎです。
今回の仕事がクソだったからって「あの人がクソな仕事をするはずがないから全部企業が悪い!」なんて言ってたら企業案件でクソじゃない仕事した時ですら彼の功績じゃなくなるでしょうが。
もちろんローソンにも責任はありますよ。だから佐藤オオキさんとローソン、双方に向けて「今回のデザインはしょうもなかった」と言うべきです。
◆「ああいう作風のデザイナーなのだから彼に罪はない」という言い分に対して
自らの作風を重んじて妥協しないならそれはアーティストであってデザイナーではありません。
今回、私もデザイナーとアーティストの違いについてインターネット上の辞書やらWikipediaやらデザイナーの方が書かれているブログやらで調べました。結論としてデザイナーは「自分の作風で表現する」仕事ではなく「依頼された内容に合わせて表現する」仕事であると私は認識しています。
わかりやすく例えるならアニメや吹き替えで活躍されている声優さんでしょうか。これこれこういう役を演じてくれ、と言われて指定されたセリフを読み上げる。当然ですがそれは「ただ読み上げるだけの仕事」ではありませんし、同時に「自分の考えだけで成立する仕事」でもありません。
デザイナーの仕事もそれに近いはずだと私は思います。
先に挙げた比喩を続けると、セリフや物語の流れを自分で考えたいなら声優ではなく作家を目指すべきでしょう。それと同じで「こういう作風で自分は勝負する!」と決めて客の目線にも立たず一切譲らないなら依頼なんて受けず自分で作品を作って売ってりゃいいんです。
少なくとも今回、「コンビニエンスストアに陳列する商品のパッケージである」という認識が働いていたならそこを最低限考慮しなければならないところでした。それができていないから批判を受けているんじゃないでしょうか。私にはそう思えます。
◆やっぱデザイナーも悪い
既に述べた通り、モノが食品と飲料である限り人命に直接関わることもある仕事でした。ですがどうにも佐藤オオキさんはそこをちゃんと認識していないように思えます。
例えば以下の記事にある天理駅前の広場コフフン、こちらも彼の仕事なわけですが。
https://colocal.jp/topics/think-japan/local-action/20170503_96542.html
こちらの広場、結構な頻度で転倒事故が起きていたようです。
残念ながら有効な情報ソースとなる読売新聞のWEBページが既に存在していないため、論拠は個人のブログなどになってしまいます。しかし転ぶ人が出るのもわかるんですよ。こんだけ真っ白な段差だと視認性最悪でしょうし。
そして今回も佐藤オオキさんは同じく視認性最悪な仕事をして批判されています。学習能力ねえのかよ。ちょっとしたポカならまだしも不特定多数の人が死ぬかもしれねえんだぞ。
まあそういう背景もあって私は「企業だって当然悪いしデザイナーも普通に悪い」とはっきり言います。
そして冒頭に記載した通り、私は今回の記事に限ってなるべく多くの人に読んでほしいんですよ。
この「不特定多数の人命を脅かしかねない仕事が破綻した論理と感情的な理由だけで擁護されている」という現状に対する危機感と気持ち悪さを、どうかここまで読んでくれたあなたにも感じてもらいたい。
即刻あの新パッケージを変えろと言っても無理なのは承知しているので、これが自分にできるささやかな抵抗です。
私からは以上となります。