有償だからって喜んで働くわけじゃない
こんにちは、馬込巣立です。
最近になってこんなニュースを目にしました。
東京五輪で「時給1600円」派遣募集 ボランティアとどこが違う?組織委に聞くと...
https://www.j-cast.com/2019/11/27373767.html?p=all
まあ要するにネット上であれこれ言われている東京オリンピックで、無償のボランティアに強制参加させられつつある人もいる中なんか有償での仕事も募集し始めたってんで物議を醸してるらしいんですね。
正直私はスポーツとか興味ない方なのでこのニュースの内容については「仮にボランティア強制参加が事実なら上の連中全員クソだな」程度の意識しかありません。しかし、事の本質とは別に一つちょっと思い浮かんだものがあるんです。
それが仕事のやりがいという概念。
皆さんも「やりがいある仕事」とか「やりがい搾取」といった言葉を聞いた事があるのではないでしょうか? 主にブラック企業が使う言葉として認知されているかと思います。
一応言っておくと、仕事にやりがいを求める考え方そのものは悪くも何ともないんですよ。ええ、悪くありません。
ただ個人的な認識として「仕事のやりがい」って「辞めれば5億円もらえるとしても辞めないくらいのもの」だと思ってるんですね。
つまり「じゃあ辞めて5億円もらいます!」というのならその人は仕事にやりがいなんて感じていないんです。あくまで私の定義で言えば。
どうしてこんな話をしているのかというと、最近転職して仕事がキツいなーとか普通の感想を抱き始めてるからなんですが。要するに私は労働なるものが嫌いなんです。
逆に私の父なんぞは生前「仕事というものは神聖なもの」と思っていたようで、そこで手を抜くなんてあり得ないくらいは言ってました。親子でどうしてここまで認識と性能に差が生じたのか……。
なので冒頭でご紹介した記事を見た時、「何だかんだ人を動かすには金だな」なんて当たり前の事をつい口走ってしまったんです。
ただ、一方で「金だけじゃない」と断ずる自分もいます。
ここで「社会貢献」とか「奉仕精神」とか立派な言葉を使えれば良かったんでしょうけれども、残念ながらそうはなりません。私は「高給取りでも休みがなければ工場勤務の派遣以下」と思ってしまうんですね。
というか私が言うまでもなく誰だってそうじゃないかなと思うんです。極論を言えば生まれてから死ぬまでの間にやる事ねーから生きてるのが生き物というものであり、金銭は生きるという行為を円滑に進めて尚且つ追加の楽しみを得るために必要だから頑張って獲得しようとするわけでしょう。
それなのに金ばかり手元に集まって順調に生きるための健康や余暇時間を奪われるって本末転倒じゃないですか。
そこに「それが仕事」「それが社会人」とか知った風な顔で言いに来る自称大人もいますけどそいつらは大人ぶりたいだけのガキです。
そもそも国家も会社も趣味のサークルでさえも、人の集まりというのはより大きな幸福を効率的に得るための手段に過ぎません。所属する多くの人間が幸福を得られないのならその構造が誤っているのであり、それは要するに厳しい環境というのではなく上の人間がどんだけ間抜けかを示しているだけなんです。
なんか変に真面目なようでいて不真面目極まる話になりつつあるので方向修正しますけど、私は「無償で働くのも有償でめちゃくちゃ働くのも嫌だ」と主張しているだけのわがままな人間でしかないのでここまでの文章全部便所の落書きか何かだと思って切り捨ててくれても構いません。
私が望む勤務形態はただ一つ。
人と関わらなくて済んで、どんな馬鹿でもできるような仕事です。真面目にそう思っている辺り人間の屑ですね。
ここまで読んでくださりありがとうございました。たまに愚痴を吐き出さないとストレスが溜まる一方なので、今後もブログではこうした記事が定期的に書かれるかもしれません。その時は今回のようにいかにもつまらなさそうな記事のタイトルにしておきますのでご安心ください。いつもつまらなくないタイトルで記事を書けてるかどうかわかりませんが。
では、現場からは以上です。