不在の巣

なろうで小説を書かせてもらっている馬込巣立のブログです

とりあえず決着つけようかな、と思ったので

 こんにちは、馬込巣立です。

 

 書いたのはもう一年以上前になりますか。私が以前このブログにて書いた“個人の感想”という至宝という記事に、つい最近とあるコメントが書き込まれました。

 

 

magomesudachi.hatenadiary.jp

 

 

 で、そのコメントの内容なのですが。

 

 ざっくりまとめると「動画投稿者側に版権画像の使用など問題があるのだから消されて当然、そもそもあんな形で感想を述べるのは多人数の視聴者を扇動する行為であり許されるものではない」みたいなそんなご意見でした。

 まあその辺り私がどのように反応したかについてですが、こっちもざっくりまとめるなら「肯定的意見もまとめて消されていない時点で基準は公平性を保てていないし、そんな恣意的な基準で企業が個人の感想を弾圧する行為こそ許すべきではない」といった反論をしているかと思われます(因みに問題の動画を作成された方はフリー素材の画像を用いて新たに感想動画を作成されていました)。

 

 本当に(特に私の)コメント一つに込められた文章が長いので省略しましたが、詳しい流れを知りたい方は当該記事の下の方を見ていただければ大体察するところかと。

 

 で、言葉を二往復させた辺りで向こうが反応しなくなってもう半月近く経ちます。私としては相手方が納得されたのかまだ反論するために意見をまとめているのか定かでない状態なわけですが、正直ここで話が終わるのも尻の座りが悪いと感じているわけですよ。

 

 それでですね、そのコメントをくださった方曰く「ブログなどで感想を述べるならまだしも動画で感想を述べるのは影響力が明確に違う(要約。語弊があるならコメント欄にてご指摘どうぞ)」とのお話でしたので。

 まあ、喧嘩を売るようで恐縮ではあるのですが。

 回復術士のやり直しが今度アニメ化しますよね。

 

 

 もしそれがニコニコで無料配信された場合、当ブログにて毎週「回復術士のやり直し」の感想記事を書いてみようかなと思っています。

 

 

 ぶっちゃけますけどあのコメントで私は若干イラッときたんですよ。「動画と比べて文章という媒体が持つ影響力なんて大した事ない」と言われたみたいで。

 だから文章の力でどこまで爪痕残せるか試したろうと思ったんです。なんか版権画像使われる事に忌避感あるみたいですし、丁度いいから画像の使用も控えましょう。 元のコメントをされた方から「好きにすれば良い」とお墨付きをいただいたので、これまでの記事と同様に使える部分は画像を使っていこうと思います。今村さん、ありがとうございました。

 

 とはいえまあ、あのアニメがニコニコ動画で無料配信されるかどうかについてはまだ何とも言えませんからあくまで「そうなったら」という仮定の話だと思ってください。俺ガイル二期が2話以降有料配信だった時の事をふと思い出して悲しくなってきました。

 仮に無料配信されなかった場合、仕方がないのでこの話はお流れという形にさせていただきます。その時はもう、すみませんとしか言えないのですが。

 

 私は以前賢者の孫のアニメを完走した時に、あまりにも何も収穫が無かったものですから「もうクソアニメなんて二度と見ねえ」みたいな事言ってました。

 けど、これについては私自身が力試しもしつつすっきりしたいなと思っているがゆえの行動ですのでどうかご容赦いただきたい。

 

 ひとまず今回のブログで私が個人的に言っておきたかった事はそれだけです。

 それともし「回復術士のやり直し」のファンの方がいらっしゃったら、今回の記事で不快な思いをされたかもしれません。その点に関しましては申し訳ありませんでした。

 

 では、現場からは以上です。

 

 

 

 

 

 

 

※余談

 

 一つ、元々の話題となったとある動画の投稿主さんについて私の意見をば。

 

 私は彼ないし彼女の行動についてはあくまで中立的な立場を貫く所存です。あれほどパクリと言い切るのであれば検証材料となる比較画像を提示すべきと思いますし、そもそも発言の内容も客観性をやや欠いているきらいがあるように見受けられました。

 ですので当該動画に対する「主張が偏っている」「論拠に乏しい」などの批判に関しましては発生して然るべきだと思いますし、私もそう思う部分はあります。

 

 私が怒りを覚えたのは企業による言論弾圧であって、感想に対する反感や批判などについてはそれもまた個人の感想であるとして尊重していく所存です。

 どうにも元のコメントをされていた方にはそこのところを誤解されていたのではないかと思わなくもないので、こちらにて自己弁護も兼ねて明記させていただきます。

有償だからって喜んで働くわけじゃない

 こんにちは、馬込巣立です。

 

 最近になってこんなニュースを目にしました。

 

 

東京五輪で「時給1600円」派遣募集 ボランティアとどこが違う?組織委に聞くと...

https://www.j-cast.com/2019/11/27373767.html?p=all

 

 

 まあ要するにネット上であれこれ言われている東京オリンピックで、無償のボランティアに強制参加させられつつある人もいる中なんか有償での仕事も募集し始めたってんで物議を醸してるらしいんですね。

 正直私はスポーツとか興味ない方なのでこのニュースの内容については「仮にボランティア強制参加が事実なら上の連中全員クソだな」程度の意識しかありません。しかし、事の本質とは別に一つちょっと思い浮かんだものがあるんです。

 

 それが仕事のやりがいという概念。

 

 皆さんも「やりがいある仕事」とか「やりがい搾取」といった言葉を聞いた事があるのではないでしょうか? 主にブラック企業が使う言葉として認知されているかと思います。

 一応言っておくと、仕事にやりがいを求める考え方そのものは悪くも何ともないんですよ。ええ、悪くありません。

 

 ただ個人的な認識として「仕事のやりがい」って「辞めれば5億円もらえるとしても辞めないくらいのもの」だと思ってるんですね。

 つまり「じゃあ辞めて5億円もらいます!」というのならその人は仕事にやりがいなんて感じていないんです。あくまで私の定義で言えば。

 

 どうしてこんな話をしているのかというと、最近転職して仕事がキツいなーとか普通の感想を抱き始めてるからなんですが。要するに私は労働なるものが嫌いなんです。

 逆に私の父なんぞは生前「仕事というものは神聖なもの」と思っていたようで、そこで手を抜くなんてあり得ないくらいは言ってました。親子でどうしてここまで認識と性能に差が生じたのか……。

 

 なので冒頭でご紹介した記事を見た時、「何だかんだ人を動かすには金だな」なんて当たり前の事をつい口走ってしまったんです。

 

 ただ、一方で「金だけじゃない」と断ずる自分もいます。

 

 ここで「社会貢献」とか「奉仕精神」とか立派な言葉を使えれば良かったんでしょうけれども、残念ながらそうはなりません。私は「高給取りでも休みがなければ工場勤務の派遣以下」と思ってしまうんですね。

 というか私が言うまでもなく誰だってそうじゃないかなと思うんです。極論を言えば生まれてから死ぬまでの間にやる事ねーから生きてるのが生き物というものであり、金銭は生きるという行為を円滑に進めて尚且つ追加の楽しみを得るために必要だから頑張って獲得しようとするわけでしょう。

 それなのに金ばかり手元に集まって順調に生きるための健康や余暇時間を奪われるって本末転倒じゃないですか。

 

 そこに「それが仕事」「それが社会人」とか知った風な顔で言いに来る自称大人もいますけどそいつらは大人ぶりたいだけのガキです。

 そもそも国家も会社も趣味のサークルでさえも、人の集まりというのはより大きな幸福を効率的に得るための手段に過ぎません。所属する多くの人間が幸福を得られないのならその構造が誤っているのであり、それは要するに厳しい環境というのではなく上の人間がどんだけ間抜けかを示しているだけなんです。

 

 なんか変に真面目なようでいて不真面目極まる話になりつつあるので方向修正しますけど、私は「無償で働くのも有償でめちゃくちゃ働くのも嫌だ」と主張しているだけのわがままな人間でしかないのでここまでの文章全部便所の落書きか何かだと思って切り捨ててくれても構いません。

 

 私が望む勤務形態はただ一つ。

 

 人と関わらなくて済んで、どんな馬鹿でもできるような仕事です。真面目にそう思っている辺り人間の屑ですね。

 

 

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 ここまで読んでくださりありがとうございました。たまに愚痴を吐き出さないとストレスが溜まる一方なので、今後もブログではこうした記事が定期的に書かれるかもしれません。その時は今回のようにいかにもつまらなさそうな記事のタイトルにしておきますのでご安心ください。いつもつまらなくないタイトルで記事を書けてるかどうかわかりませんが。

 では、現場からは以上です。

読書感想文『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』

 皆さんこんにちは、馬込巣立です。

 

 有名な作品なのでご存知の方も多いかと思いますが、先日ついにあの名作ライトノベルやはり俺の青春ラブコメはまちがっている。(以下、俺ガイル)』が完結しましたね。

 

 1巻初版からこの作品の底力を見抜いて8年半ずっと追いかけ続けてきたファンとして、今回はこの作品の感想を書いていこうと思います。ある程度はネタバレも含むと思いますのでそこはご勘弁ください。

 

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 では語っていきましょう。

 

 

 

作品の概要

 

 これだけ有名な作品となるとどこまで必要性があるのかどうか甚だ疑問ですが、とりあえず簡単な物語の説明をばしていきます。

 

 このライトノベル「ぼっちの主人公が学校の中で奉仕活動を通してあらゆる人々と出会い、その繋がりを経て成長していく」という内容の作品です。これだけだと普通の作品にしか思われなさそう。

 

 主人公の比企谷八幡は生粋のぼっちであり、その在り方のひねくれっぷりたるや尋常なものではありません。他のラノベに出てくるひねくれ者がまだ常識的に見えるレベルで拗らせた性格してます。

 更に同じく拗らせたひねくれ者である完璧優等生の美少女・雪ノ下雪乃と頭はあまりよろしくないもののリア充グループに属する由比ヶ浜結衣ダブルヒロインも絡み、彼ら彼女らの人間関係が時には温もりに包まれ、時には寒波に見舞われて発展していくわけです。

 

 ぶっちゃけ初期の状態だとヒロインは主人公にキャラクターとして力負けしており、「この主人公に見合うヒロインと言えるのか?」という奇妙な疑念を読者に抱かせる要因にもなっています。事実私と私の友人は「八幡だけ世界観違うくね?」と作品の内容に首を傾げたりもしていました。

 

 では、いいとこ悪いとこを連ねていきましょう。

 

 

 

良かった部分

 

魅力的な登場人物達

 

 ライトノベルを書く上で重要なのはシナリオよりもキャラクターであると言われています。

 とはいえそこはプロの作家の間でも主張が違ったりするのですが、この俺ガイルに関して言えばキャラクターの魅力が凄まじいんですね。

 

 わかりやすいのは一色いろはというキャラクターでしょうか。

 

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↑こいつです

 

 彼女の初登場は確か番外編のどっかだったと思うのですが、その際には本当にちょい役であり名前と少しのセリフ以外は出てきませんでした。

 本格的に本編に絡み始めたのは8巻からです。つまり、この時点まで俺ガイルは雪ノ下と由比ヶ浜によるダブルヒロインを主軸にラブコメを進めてきたんですね。

 

 ところが彼女の登場によって、物語の方針は実質的にダブルヒロインからトリプルヒロインに変わりました。

 

 当時は俺ガイルの二次創作界隈でも蓋を開けばいろはすいろはす……といった状態で、もう少なくともネット上では八幡の正妻みたいな状態でいたんですよ。

 しかも普通に考えればオタクにあまりウケなさそうなあざとい腹黒後輩キャラ、加えて主人公以外の男子生徒に想いを馳せているというラノベヒロインどころかサブカルチャーにおけるラブコメのヒロインとしてアカン存在だったはずなのに、です。

 

 しかし彼女はとんでもない人気を掻っ攫っていきました。それまでのダブルヒロイン達を差し置いて。

 まあ当時はそのダブルヒロインと八幡の関係がぎくしゃくしていたりだとか、その結果として八幡といろはの絡みが増えただとか色々な条件が揃ってはいたのですが。にしたってイラストレーターであるぽんかん⑧先生が同人誌でこのキャラの本(当然全年齢向け)を出すくらいですから、その魅力たるや凄まじいものです。

 

 わかりやすさ重視で一色いろはについて語りましたが、他にも様々な魅力あるキャラクター達が多く登場するのが本作の魅力の一つと言えるでしょう。何なら代表格は主人公の比企谷八幡ですからね。

 

文章構成がかなりしっかりしている

 

 地味に思われるかもしれませんし、アニメ視聴組には想像しづらい部分でしょう。しかし確かにこの作品は、文章の美しさが素晴らしいんです。

 

 これもまた具体例を出さないとわかりづらいかと思いますが、ここは敢えて文章を提示しません。どうかご自身の目で確認していただきたい。

 

 どうして美しい表現を用いたりしているのかというとまあ、主人公の比企谷八幡が現国の成績トップクラスなのでその関係かと思われます。それもちょいちょいパロディネタとかギャグとか挟むので漫然と読んでいるとそこまで綺麗な文章という感覚は抱きにくいかもしれません。

 

圧倒的カタルシス

 

 昨今ではチートや俺TUEEEなどがよく流行として取り上げられていますが、俺ガイルの場合は主人公の身にとんでもない試練が次々と舞い込んできます。

 

 例えばですけど、八幡以外のライトノベルの主人公に「小学生の林間学校を手伝いに来たら女子生徒グループ内でいじめが発生してるみたいだから問題解決とまではいかなくとも問題解消まで持ってけ」なんて言ってそいつに何ができるのかって話です。

 まあ意地の悪い話をしましたけれども、要するに普通に考えて無理そうな問題をどうにかこうにか対処していくという絶望から希望への相転移が発生しているのがこの作品の強みなのかな、と私は思うんですね。

 

 与えられるストレス要因の大きさがなかなかのもので、それを解決ないし解消する流れも素晴らしく完成されているがゆえに得られるカタルシスも大きくなります。

 

 少し脱線しますけど、最近のサブカルチャーってどことなくカタルシスを得づらい環境になってきていると思うんですよ。先に触れたチート・俺TUEEEなんかが蔓延ってる影響もあるんでしょうけど。

 そういう意味では今の環境こそがこの作品に希少価値を付与している、というのも高く評価されるポイントの一つになっているのかもしれませんね。

 

比企谷八幡

 

 ぶっちゃけこの主人公がヤバ過ぎて独立した一つの長所となっています。

 

 上の方で少し触れましたけど、チートじみた超常的能力を持たないどころか社会的地位が低い状態でリア充グループに紛れ込みつつ女子小学生グループ内でのいじめを解消しろったって大半の物語の主人公は匙を投げると思うんですよ。

 それをやってのける時点でコイツは普通じゃありません。そりゃ作中屈指の強キャラである雪ノ下陽乃にも化け物呼ばわりされますわ。

 

 ただダウナーでクールな主人公というだけなら平凡な存在として認知されていたのでしょうが、彼はその上で気持ち悪い主義主張もするし、読んでてこっちがいたたまれなくなるような黒歴史を晒すし、妹にも気持ち悪がられるし、プリキュアアイカツ見て涙するような清純な心の持ち主だったりもします。

 というか割と定期的におちゃらけたりするんですよね。決してクール一辺倒な主人公ではないのがポイントです。

 

 ネット界隈では一時期(場所によっては今も?)「俺、八幡じゃんwww」などとほざく陰キャが湧きまくってたくらいですから、彼のパーソナリティは相当魅力的に映ったのでしょう。キョンでも士郎でも上条さんでもそんなん湧かなかったぞ。一方通行はいたかもしらんが。

 そのせいで「俺ガイルは好きだけど信者は気持ち悪いから嫌い」という人も一定数出てくる始末ですよ。まあ私もネット上でイキってるだけの自称八幡どもは大嫌いなんですが。

 

 

 

◆悪かった部分

 

 こんだけの名作なら無いと思われるかもしれません。

 でもですね、一応全く無いわけじゃないんですよ。少ないだけで。

 

 その辺り説明していきます。

 

序盤の展開全般

 

 この俺ガイル、実は1巻から2巻終盤までの流れはそんなに面白くありません。

「えっ?」と思われるかもしれませんがそもそも主人公である比企谷八幡が本格的にひねくれていて拗らせている部分を垣間見せるのが2巻ラストなんですよ。そこに至るまでの話の展開は主人公がちょっと根暗で友達いないだけの凡百のラブコメ作品でしかなく、八幡の性格から読み取れる情報をしっかり掴んでおかないとつまらなく感じてしまうかもしれません。

 まあそれでも序盤だってラブコメ作品として中の上くらいのクオリティは維持されているのですが、本来この作品に求めている要素はまだ顔を見せていないような状態です。

 

 何ならこれ言っちゃいますけど、1巻ラストのテニス勝負の決着シーンとか途中で作者さん面倒臭くなったんじゃねえかと思うレベルで不自然な結末を迎えているんですよね。

 なのでまだ読んでいない知人友人にこの作品をオススメする際には「3巻前半までは読んでみてから判断してくれ」と言うのが妥当でしょう。相手がそんなん言われて本当にそこまで読んでくれるお人好しかどうかはともかく。

 

比企谷八幡

 

「おい」って言われるかもしれませんが、この主人公は作中屈指の長所であると同時に短所でもあります。別に言動が気持ち悪くて不快だとかそういう意味でなく。

 

 結論から言ってしまうと、なまじっか素晴らしいキャラクターなだけに感情移入してしまい、その結果「お前はもっと怒っていいんだぞ!」「そこはお前何も悪くないぞ!」と読者の立場から思ってしまうような場面でも圧倒的な自己評価の低さから自分を下に置きたがる習性があるんです。

 

 これも具体例を出すと修学旅行編の最後の方とかがそうですね。八幡がやらかしてヒロイン二人が悲しみと怒りを表出するというシーンがあるのですが、あれはやらかしのきっかけとなった依頼を安請け合いしておいて実質的に何もしていないダブルヒロイン側にも問題があります。八幡はできる限りの全てをやったんです。例えそれが褒められたものではない手段であったとしても。

 流石にそこは許容できなかった人も多かったようで、二次創作界隈では一色いろは登場と同時に彼女と八幡をくっつける流れが主流化していました。わからんでもない。

 

 作者さんもその辺りの反応は想定していたのかあるいは読者の反応を見て「やべっ」と思ったのか、物語も佳境に入ったくらいのところであのプライドが高く負けず嫌いの雪ノ下が「結局自分は最後には八幡に頼って全てを委ねてしまうから、そこから脱却しなければ」というような旨の発言をします。

 要するに主人公が強過ぎたんです。しかもその方向性はなろう系作品に見受けられるようなわかりやすい強さではなく、「苦しみに耐え抜く」「難題に立ち向かう」という人間的な強さでした。

 

 そりゃあ精神的にはまだまだ幼い女子高生であるダブルヒロイン達がかなうわけもなかったんですよ。八幡本人はそれを否定してしまうのでしょうけれども。

 

 

 

総評

 

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 短所も二つほど挙げましたが、それを踏まえた上で素晴らしい作品でした。いや、本当に8年半追いかけ続けてきて良かった。

 最終的に本編は八幡と雪ノ下がくっついたものの由比ヶ浜いろはすも諦めていないようで、同時に彼女らダブルヒロインの家族もまた八幡を気に入った様子を見せていました。多分14.5巻とか出るんじゃないかと私は邪推しています。

 

 因みにですが、私はVITAのゲームで最初に由比ヶ浜ルートに入った関係でどちらかというと由比ヶ浜を応援しています。いや、公式で雪ノ下と付き合ってるんですからアレですけれどもね。ただキャラクター単体で見るといろはすが一番好きなんだよな……。

 

 ともあれ、それなり長い期間愛し続けてきた作品が完結したという事実は自分にとって結構大きなイベントでした。しばらくは二次創作SSでも漁って傷を癒そうかと思います。

 アニメ三期も決まっていますが、二期の時にニコ動で有料配信だったものですから私は見られない可能性が極めて高いと言えるでしょうね。最終巻終盤の小町といろはすの絡みをアニメで見たかったなあ!!あの仲良し女性VTuberみたいな無遠慮な会話!!

 

 現場からは以上です。それでは、またいつかお会いしましょう。

ダイレクトマーケティング『消えちゃえばいいのに』

 こんにちは、馬込巣立です。

 

 本日は久しぶりに読書感想文を書こうと思い至ったので、過去に読んだライトノベルの感想を書いていこうと……しているんですけれども自信がありません。

 何故かというと今回感想を書く作品、極力タイトルと表紙以外の情報は伏せた状態で読んでいただきたいからです。

 更に言うとそもそも感想を書くのが非常に難しい作品でもあります。今回「読書感想文」ではなく「ダイレクトマーケティング」のカテゴリーで記事を作成した理由もこれが主な要因と言えるでしょう。

 

 その一方で、一点特化型ではあるもののクオリティ面では素晴らしい作品でもあります。個人的にラストシーンの強烈さで言えば00年代のライトノベルを読み漁ってきた自分が自信を持って「最強」と断言できるレベルです。

 

 しかしあまりにも周囲にこの作品を知っている人がいないので、せめて宣伝も兼ねて書き進められればと思っています。

 今回ご紹介しますのはこちら、富士見ファンタジア文庫『消えちゃえばいいのに』です。

 

 

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www.amazon.co.jp

 

 

 画像の貼り方忘れたので適当なリンクになってしまっているかもしれませんがご了承くだせえ。

 

 それではこの作品の概要から述べますね。

 

 美少女四人から告白された主人公の前に死神を名乗る少女が現れ、「これから百人死ぬ」と告げてくる。

 

 以上。

 マジでこれより先の説明はしたくありません。すみません。

 

 流石に「語るのは野暮なので作品の詳細については伏せます」だけでは絶対にマーケティングとして成り立たないので、ネタバレを伏せつつご紹介していきます。

 

 この作品をネタバレ抜きでご紹介するには「私が何故この作品のネタバレを執拗に避けるのか」を説明しなければなりません。

 

 このライトノベルを読んだ人なら伝わると思うのですが、作品全体の構成が少々変わっているんですね。

 具体的に言うとラスト1ページに辿り着いた瞬間それまでの全ページが導火線に過ぎなかったのだと悟る爆弾です。何なら当時のライトノベルオタクの間でもこのような作品が富士見ファンタジアから出されるのは意外だったのではないでしょうか。

 

 最後に生じる爆発の威力は基本的に玄妙なる言葉選びに支えられているものだと認識しています。

 鮮やかな伏線回収や緻密な情景描写、キャラクターの魅力などではありません。いや、当然それらも最低限保障されるレベルなのですがこの作品は最終的にワードセンス一本勝負で読者を爆殺しに来るんですよ。

 このライトノベルを読んだ当時の時点で私は大学ノートに自作小説を書き綴る日々を過ごしていましたが、あのラストには「伏線とか世界観とかは凡人が書く小説で設定練り込むもんなんだよ」と言われたような気さえしました。別にそんなメッセージ性無いと思いますけれども。

 

 おこがましくも私は「どんな凡人でもルールを守りつつ法則性を見い出して設定を練り込めば大半のプロの作家には並ぶ事ができる」くらいに考えて創作活動をしてきましたし、今もそう信じながらなろうにて小説を連載しています。しかしこの『消えちゃえばいいのに』作者の和智 正喜さんにはどう足掻いても届く気がしない(あとがき読む限り相当なベテラン作家さんなので当然ではある)。

 何と言えばいいんでしょう? もちろん途中までの話にも意味はあるし伏線回収の場面とかもあるんですけど、やった上で全部蹴っ飛ばして文章の力でぶん殴られたようなもんです。少なくとも現段階の私では到底真似事すらできません。

 

 元々ダイレクトマーケティングであって読書感想文ではなかったのでネタバレせずに宣伝するのはある種正解だと思うものの、ここまでの文章で本作の魅力を正確に伝えきれた気がしません。

 強いて付け足すとするならこの作品、向き不向きがはっきりしてます。ストレスフリーな作品しか受け付けないタイプの人は間違いなく読まない方が良いでしょう。そうでない方でも好き嫌いあるでしょうけど、基本的には高水準の物語なので興味がありましたら是非読んでみてください。

 

 では今回は短くて恐縮ながら、久しぶりのダイレクトマーケティングでした。

 現場からは以上です。

夏はまだ街に居着いたまま、冬は一足早く財布に来た。秋はどこ行った。

 皆さんこちらではお久しぶりです。馬込巣立でございます。

 ブログ更新は本当に数ヶ月ぶりくらいになりますか。ちょっと私生活の方でバタバタしてしまっていたので、こっちは本当に手をつけないまま時間が経過していく状態でした。

 

 何が起こったのかわかりやすく説明すると、仕事辞めたんですよ私。

 元々は派遣社員やってたんですけど今回ちょっと派遣先でトラブルに巻き込まれました関係で、他の連中ともども予定より早い段階で現場を追い出されてしまったんですね。さようなら理不尽な土曜日出勤、さようならやたら駅から遠い場所にある社宅、さようなら途中で増えたぶりっ子おばさん。

 まあ今は私が大学生で就職活動していた時期よりは社会もマシな状態なので転職もそこまで大変じゃありませんでした。次の仕事は派遣ではなく普通に本社所属の身で働く事になっています。

 

 それはそれとしてですね、社宅暮らしだった私は仕事を辞めたという事で元々住んでいた自宅へと戻ってきたんですよ。こっちもこっちで私がアホほど好き勝手してたせいでアホみたいな散らかり方してるんですけど、それでも社宅よりは自分の居場所って感じします。

 

 ただ、大きな問題が一つ発生しました。

 

 エアコンが動かねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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↑馬込巣立の心象風景

 

 2019年10月。まだ始まって一週間も経過していませんが、「記録的猛暑」というこの時期に許されない類の言葉で表現されるレベルの暑さが続いています。残暑どころじゃありません。満を持して登場したラスボスです。

 眠れぬ熱帯夜に耐え切れず、私は業者を呼びました。とにかくさっさと修理しないと私は毎晩漫画喫茶に避難しなければならなくなりますからね。

 とにかく今は金を使いたくないんです。来年にはWindows7のサポートが終了してしまうので可能ならパソコンを新調したいと思っていたところでしたし、転職活動やら自宅と社宅の往復やら県外にいる親戚の用事やらで生じた交通費によるダメージも深刻です。更に破れてしまった関係で衣服を新調したりしましたし、今月からは消費税も10%になってしまいました。極力出費は抑えたいと思っているところで最近では社宅で節約用の自炊なども始めてみたりしていたものですが、いやはやこれもまた難しいもので

 

 

業者「これ部品交換しようにも型が古くて無理ですね。買い替えるしかありません」

 

 

 

 

 

 

 

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↑馬込巣立の心象風景② 

 

 というわけで本日家電量販店にてエアコンを新調。今年入って最大の出費が発生しました。

 しかも当たり前ですが今日明日に設置できるものでもないため、しばらくは熱帯夜が続きます。絶望的過ぎて逆に涙が出ない。

 

 ともあれ私は今、アホみたいに散らかった部屋をカーテンで隠しつつ窓を開けて少しでも室温を下げようと努力している状態です。熱中症で死なないように細かな水分補給も欠かせません。

 このクソ暑い中、私の財布と久しぶりに電源入れた冷蔵庫の中だけは冷え込んでいます。おかしい、夏と冬しかない。秋は何処へ。

 

  まあそんなわけで、馬込巣立は次なるステージへと移行していくと見せかけて死なないための現状維持に努める感じです。今後もなろうの方で小説を読んでくださったり、あるいはTwitterTRPGのテキセに誘ってもらえると狂喜乱舞します。

 それでは皆さん、またいつか。ブログの方は本当にいい加減に更新していくので次回も3ヶ月後とかになるかもしれませんけども。

アニメ『賢者の孫』を見終えて

 こんにちは。馬込巣立です。

 

 本日ニコニコ動画にて配信されている賢者の孫最終回を視聴しました。個人的に「これはクソアニメ」と判断したら1話切りかPV切りしてきた私ですが、今回は最後まで見終えましたのでその感想を述べていきたいと思います。

 

 先に申し上げておきますと批判的な内容が多分に含まれますので、苦手な方はブラウザバックしてください。

 

 

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 で、感想なんですが。

 つまらないな、と感じる一方で「つまらない原作を最低限見られる内容にしよう」というアニメ制作側の努力の痕跡も少しですが見受けられ、一方的に批判するにはやや同情の余地が残る出来栄えとなっていました。

 

 今回は単純な感想として記事を書いていますので作品の概要については省略しますが、アルティメットマジシャンズ(核爆)が出てくるところまでWEB版を読み進めた過去を持つ私が知る限り『賢者の孫』という作品自体は駄作です。

 その駄作を僅かにでも視聴できる程度にちょっとしたアレンジが加わえられている様子も見られたものの、やはり素材の悪さが出てしまった部分もあるように思えました。

 

 駄目な部分を挙げ始めるとキリがないのでザックリと三つに分けて批判していきます。

 本当は褒められる部分を褒めたりもしたかったのですが、この作品の面白さのピークであるシンの幼少期が見事に短縮されてしまっていたので私はもう何も語れないんですよね……。原作者さんはNHK連続ドラマ小説みたいな作風でこそ輝く人なんじゃねえかと思う今日この頃です。

 ではまず一つ目から。

 

◆内容が幼稚

 

 漠然としてしまっていますが、まずこれです。

 先に挙げたアルティメットマジシャンズ(核爆)、呪文詠唱とその扱い、その他諸々に見受けられるあらゆるセンスが小学生のそれなんですね。

 

 作中で主人公のシンが定期的に「何だよそれ恥ずかしい!」みたいなリアクション取ってますけど、私の予想だとあれは作者さんなりの自己弁護なんじゃないでしょうか。

 敵対勢力や他勢力に固有の組織名がない辺り、そう思った方が自然な気もします。呪文の詠唱を省略するのが強者の証みたいな設定も、詠唱を考えるだけのセンスが作り手側に無かったと考えると悲しい話ですが説明できてしまうんですね。

 あくまで私個人のイメージの話であり、実際のところ作者さんのセンスがどうなっているのかについてはこの作品一つで語るべきではないでしょうけど。孫が終わって次回作でも似たようなノリならそういう事だとこっちで勝手に確定します。

 

 この場合のセンスとは詩情とも言い換えられるでしょう。言葉を紡ぎ人の心を震わせる、ある意味では作家としての在り方に根差す表現の力です。その力が働いている場合と働いていない場合でどのくらい違うのか?

 ちょっと今から物凄く残酷な事をしますが、曖昧な意見を押し付けるような話の展開を避けるための私なりの工夫ですのでご容赦ください。

 

 まず最初に、『賢者の孫』で使われていた魔法の呪文の一例を以下に記載します。

 これは魔法学校の入学試験において、主人公と同年代の少年が魔法を行使する際に詠唱したものです。

 

『全てを焼き尽くす炎よ! この手に集いて敵を撃て!』

『ファイヤーボール!!』

 

……はい。

 

 WEB版では『ボンっ!』という効果音のみが記載されており具体的に何がどうなったかは一切語られていませんが、多分「全てを焼き尽くす炎が手に集って撃ち放たれたんだろうなあ」と大体想像できますね。

 

 さて、ここからが残酷なところです。

 

 次に提示致しますのは、18禁ゲームDies iraeにて主人公の藤井蓮が使用する必殺技の詠唱です。

 このゲーム、というかこのシリーズは詠唱のかっこよさが売りの一つとなっています。果たしてどこまで違うのでしょうか?

 

日は古より星と競い
定められた道を雷鳴の如く疾走する
そして速く 何より速く 永劫の円環を駆け抜けよう
光となって破壊しろ その一撃で燃やし尽くせ
其は誰も知らず 届かぬ 至高の創造
我が渇望こそが原初の荘厳
創造―美麗刹那・序曲(アインファウスト・オーベルデューレ)

 

 はい。

 

「焼き尽くす」と「燃やし尽くす」で微妙に文章が被ってるはずなのに、1ミクロンも重なる部分が見受けられませんね。

 因みにこの蓮君の技は別に相手を燃やし尽くす技ではありません。気になる人は本編をチェックだ!

 

 

 いや、極端な例で申し訳ないんですけど要するにこういう事なんですよ。

 もう少し対象年齢の低い呪文を用いる『魔法先生ネギま!』でもファイヤーボールほど安直なセンスしてないでしょ。南洋の嵐がどうたらとか三十の棘もつ愛しき槍がこうたらとか言ってるでしょ。

 

 で、呪文やネーミングのセンスがこれで敵となるモンスターや魔人もコメディっぽいノリで虐殺されていくわけで。

 ファンタジー世界で国の存亡とか人命とかそういう重いテーマを扱いながら、やってる事は児童向けアニメ、しかし実際にもたらされている結果は深夜アニメです。最悪な形で設定と描写の間にギャップというか深い溝が出来ています。

 こういう倒し方をするなら、例を出すと『この素晴らしい世界に祝福を!』くらいのギャグセンスが要求されると思って間違いないでしょう。出来なきゃせめて戦闘シーンくらいは真面目にやってもらいたいものですね。

 

◆主人公及びその仲間に魅力がない

 

 結構キツい話を連続でする事になっちまったなあ!

 先に具体例を持ち出してから解説しましょうか。

 

 主人公のシンにはアニメ終了時点で婚約まで話を運んだ愛すべきヒロイン、シシリーがいます。

 主人公とヒロイン、彼らが相思相愛となったエピソードとはいかようなるものなのか?

 

 言っちゃえばチンピラに絡まれてるヒロインを主人公が助けてその時お互いに一目惚れしたってだけです。ドラマなんか無かった。

 

 そのせいかアニメ八話で彼らはお互いのなれ初めについて語り合うも、「チンピラをぶっ飛ばした」「その時にヒロインの女友達が助けを求めた」という二つの話題で終わりました。

 

 わかりますでしょうか。

 中華料理店で餃子を頼んだのに焼いた皮しか出てこなかったようなもんです。

 

 まずこの一例は本当にあくまでも一例に過ぎません。これに限った話じゃないから問題なんです。

 この物語の登場人物、大半は肩書きや生まれ以外に大した個性を持っていません。よりわかりやすく言語化するとキャラクターに歴史が足りていない。

 

 唐突ですが皆さん、スタニスラフスキーシステムという言葉をご存知でしょうか?

 元は演劇に用いられる手法であるとされるこの理論、厳密な意味について解説すると長くなってしまいます。なので誤解される覚悟でざっとまとめると「架空の人物が有するパーソナリティを緻密・厳密に掘り下げて滲み出る魅力を表現しよう」って話です。

 マジで誤った認識である可能性もあるので、これに関しましては専門家の方からのツッコミお待ちしております。

 

 例えば主人公が死んで異世界に転生するという系統の物語であればどうか。

 死ぬ前の主人公が有していたパーソナリティ(家族構成・経済状況・労働環境などなど)についてちゃんと掘り下げている作品の方が、私には魅力的に思えます。

 そして『賢者の孫』の場合、主人公は「現代日本において残業が存在する事務仕事を務める社会人であった」という前提があるわけですよね。

 

 はい、もう結構な数の人が既に言っている事でしょう。

 作中でシンが15歳になった時点で元の人格の享年も加算すると、仮に若く見積もって前世が18歳であったとした場合でも彼の実年齢は33歳になります。33歳が“常識外れ”に育つでしょうか?

 

 薄っぺらなパーソナリティを有する実年齢30代の主人公がとりあえず地形を変えるような強大な力を手にして、街でわかりやすくチンピラに絡まれている美少女を助けてお互いの顔を見て「美少女だ!」「かっこいい!」と互いに惚れる。

 そういう話なんです、私から見た『賢者の孫』というのは。

 

◆登場人物の扱い方が雑

 

 最後はこれです。「魅力がない」とは少し異なるポイントなので別項目としました。

 私のTwitterや小説を見てくれている人達であれば何となく察しているところかもしれませんが、私は3話で殺されたカート君に対して割と本気で同情しています。

 

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↑コイツです

 

 何故かというと彼は敵に洗脳されただけの被害者でありながら誰からも助けてもらえず、主人公のシンに殺されてからもその死をずっと粗末に扱われるという非常に雑な扱いを受けたキャラクターだからです。

 彼の死に様とそれを目の当たりにしたはずの周囲の反応には多くの人々が困惑と戦慄に見舞われました。

 

 これは『賢者の孫』に限った話ではないのですが、創作界隈全体に一定数「迷惑なチンピラなら殺しちゃっても良いじゃん」という思想が溶け込んできているように思います。

 いやぶっちゃけ殺す事それ自体は別に良いんですけど、それに対する周囲の反応が不自然極まるんですよ。このカート君の場合、首を切除された死体の横でシンの仲間や駆けつけた騎士団の連中が「魔人を倒したぞー!」「ウォォースゲェーッ!」って盛り上がってるんです。

 

 異常でしょ。

 

 はっきり言います。私は『賢者の孫』の作者に当たる吉岡先生に対して悪感情を抱いているわけではありませんが、こんな描写を平然と入れてる時点で少なくともこの作品は立派な駄作です。

 

 思い出してください。私はスタニスラフスキーシステムについて「架空の人物が有するパーソナリティを緻密・厳密に掘り下げて滲み出る魅力を表現しよう」というものだ、と勝手にですが解釈し定義しました。

 そこで疑問なんですが、キャラクターにどういう背景があれば首なし死体の隣りでほのぼのとしたやり取りができるんでしょうか?

 

 もうこれ以上何を言ったところで「魔人やチンピラ=言葉を発するだけの殺すべきモンスター」くらいの認識で話を進めているであろうあの作品がどうなるもんでもないのでしょうけど、そういうところがクソだっつー話なんですね。私としては。

 

◆まとめ

 

 以前私はTwitterにて「真面目に賢者の孫を面白いと思っている人は何を面白いと思っているのか甚だ疑問だ」と呟いた際、『賢者の孫』を好んで読んでいるという方からご意見を頂いた事があります。

 その方曰く、

 

「だって賢者の孫はハーレムじゃないでしょ? ハーレムじゃないって最近のライトノベルでは珍しいですよね? 私にとってはその珍しさが大事な部分で、魅力なんです」

 

 との事でした。

 それを聞いて私は否定こそしないまでも「好きな人から見てもここが面白いって作品じゃねえんだなあ」としみじみ思ったわけです。

 

 ぶっちゃけ物語として魅力的な作品ではないと思うんですよ、この『賢者の孫』というのは。歴戦の猛者である高橋龍也先生の手腕でもあの出来になってしまうって時点で色々察するものがありますよ。

 ただアニメ制作側も「こんなのはこういう風に使ってやるのが正解なんだ」と言わんばかりに無名に近い新人バーチャルYoutuberを声優に起用したりしていたので、原作とアニメとの戦いは引き分けってところじゃないでしょうか。視聴者は純然たる被害者ですけども。

 

 さて、今回は生まれて初めて最初から最後までクソアニメを通して視聴しました。二度とクソアニメなんて見ないよ!

 今後は大人しく普通にアニメ視聴を楽しんでいきたいところです。とりあえず夏アニメはロード・エルメロイⅡ世を見ます。それ以外だとダンまち2期かなあ……でもあれも原作途中から微妙だったしな……。

 

 と、いったところで現場からは以上です。また良ければ次回の記事もよろしく。

【閲覧注意】オススメゆ虐小説5作品

 皆さん、お久しぶりです。一ヵ月以上ぶりのブログ記事がこんなんで申し訳ないんですが、ここ最近では身内の死以外に語るべき事も特に無かったので今回はニッチな話を好き勝手やっていこうと思います。

 

 まず言っておきますと今回紹介しますのは内容的にも描写的にもエグい話が多いので、そういう話が苦手な方は閲覧をご遠慮ください。

 

 

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 で、「ゆっくりとは」「ゆ虐とは」などの疑問点につきましては下記のURLを参照いただきたく。説明すると尋常でなく長くなるのでここではこういった形式で省略させていただきます。

 

 

ニコニコ大百科ゆっくりしていってね!!!」

https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%86%E3%81%A3%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%AD%21%21%21

 

同じくニコニコ大百科「ゆっくり虐待」

https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%86%E3%81%A3%E3%81%8F%E3%82%8A%E8%99%90%E5%BE%85

 

 

 では、ここまでで述べた忠告と「ゆっくり」「ゆ虐」についての概要をある程度認識したという前提で今回の記事を書いていきたいと思います。

 

 

◆ゆ虐との出会い

 

 まず私が何故ゆ虐に興味を示したかを簡潔に説明していきます。興味ないという方は愚地独歩の画像があるところまで下降してください。

 きっかけは上に示しましたニコニコ大百科の「ゆっくり虐待」の記事を偶然閲覧した事でした。それまで私は「ゆっくりというキャラクターをいたぶって遊ぶ悪趣味な創作界隈」としか捉えていなかったので、想像以上に世界観がしっかり構築されている事に驚愕したものです。

 一応申し上げておくと「悪趣味な創作」という前の印象も決して的外れではありません。ゆっくりが酷い目に遭うという点は多くの場合共通しているので。

 そして世界観の完成度に唸って試しに有名な小説や漫画をいくつか読んでいった結果、奥深さにハマったというのが現状ですね。

 

 と、本当に簡潔に経緯を述べましたので、以下に今回の記事の趣旨であるオススメゆ虐小説5作品を提示していこうかと思います。

 

 あとこれはもしこういったジャンルに不慣れながらも興味があってここまで記事を読み進めたという人に向けた意見となりますので、良ければ見ておいて欲しいです。

 まず基本的にゆ虐に限らず虐待系の趣味・嗜好は内容の過激さから忌避されやすい傾向にあります。ブログでこんな記事書いてる私が言っても説得力に欠けるかもしれませんが、多くの人の目に触れる場所でこういった話をするのはやめましょう。界隈の内外双方にとって不利益に繋がります。

 それとニッチジャンルの特徴としてそういった趣味を隠している人もいると思いますので、もし身内などからこういったジャンルを好む人が見つかっても頭から否定するのはやめてあげてください。隠しているという事は隠すべきという判断が働いている事でもあります。それを見つけた人間が相手に伝えるべきは嗜好の悪辣さなどではなく、より上手い隠し方です。

 

 と、まあ色々言ってきましたがそろそろ趣旨に入りましょう。

 

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◆「副工場長れいむの末路」

 

https://www26.atwiki.jp/yukkuri_gyakutai/pages/4387.html

 

 まずは正統派な虐待から。

 人間の手によるゆっくり虐待は主に「幻想郷」「田舎」「都会」の三種類に舞台が区分されるのですが、これは都会でのゆ虐となります。まあタイトルから察せますが。

 

 内容としては工場で理不尽な仕打ちを受けながらも日々を過ごしてきたとある工場の作業員が、自分達を虚仮にしてきたゆっくりとその飼い主である工場長に復讐を果たすという物語になっています。

 この作品には復讐譚として非常に完成された爽快感が内在しているんですよ。何と言っても主人公の容赦の無さが素晴らしい。

 基本的に私は倫理観や罪悪感に苛まれる形で復讐を中途半端なところでやめたり、あるいは実行するに至っても綺麗事に縋りつく物語ってあまり好きじゃないんですよ。やるなら徹底せねば見ていてすっきりしないので。

 そういう点で見ればこの「副工場長れいむの末路」は相手の生命を、権限を、これまで味わってきた全ての幸福を見事に貶めた最高品質の復讐を描いています。

 

 私が普段小説を書くために使っているなろうでも復讐譚が流行った時期はありましたが、やっぱりゆ虐を知っているとスカッとジャパン程度の復讐に見えてきてしまいますね。まあなろうでゆ虐レベルの復讐したらR-18Gコースまっしぐらなのでそれはそれだとも思いますが。

 

 

◆「ヒヨドリの幸せ」

 

https://www26.atwiki.jp/ankoss/pages/2698.html

 

 こちらも都会を舞台としたゆ虐小説です。が、上に紹介した「副工場長れいむの末路」と比べると読後感はあまりよろしくないかもしれません。

 では何故この小説を紹介するのかというと、これって虐待が主題ではなく「全てを救おうとしても無理」という教訓を含んだ話なんですよ。

 

 ある男が飼っていたゆっくりれいむが「野良のゆっくりは飼いゆっくりである自分のように恵まれていない」「そんなのがいるなんてかわいそうだ」「だから救ってあげてほしい」と飼い主に縋る、という話。

 本編の結末がどうなるかは伏せるとして、私から言わせてもらえればこの飼われているれいむはわかりづらい形でのゲス(自分さえ良ければ何を犠牲にしても構わないという考えのゆっくりを指す言葉)だったんだと思います。

 というのもこのれいむは「自分と違って恵まれないゆっくりがいると思うと自分が辛いから飼い主に頼る」という個体なんですよ。この時こいつは飼い主にどれほどの負担がかかるかを一切考慮してないんです。

 つまりこの物語に登場するれいむの言い分をまとめると「私は恵まれてるからその幸せを与える役割をこなす飼い主は自分の仲間も恵まれた環境に置け。因みに“仲間”の定義は私と同じゆっくりである事だ。何もできないなら家を出る、それでお前が寂しがろうと私は知らん」というものになります。糞野郎じゃねえか。

 なのでまあ、正直私はあの結末を見ても「この飼い主の男はもうちょっと頭使って生きた方が良いと思う」という印象が一番強かったですね。

 

 それで何故この作品をオススメしたかというと、先に述べたように「全てを救おうとしても無理」という教訓をデフォルメしてわかりやすく描写した物語だからなんですよ。テーマをわかりやすく伝えるという意味では非常に完成度の高い話です。

 不平等を割り切ってる人が読めば「そらそうなるわ」となり、割り切れない人が読めば「そんなんなってしまうのか」となる話なので、多分宗教とかやってる人が読むと良いんじゃなかろうか(投げっぱなし)。

 

 

◆「おちびちゃんはとってもかわいいんだよ!」

 

http://yukkuriss-library.blog.jp/archives/1009062310.html

 

 こちらは割と有名な方、カルマあきさんが書かれたゆ虐小説です。またもや都会が舞台な話となります。というか今回紹介するのは都会を舞台とした話か、ゆっくりの群れを主題とした話しかないので田舎の人がゆっくりをどうこうするという話はありません。

 ちょっと脱線しますけど、私は田舎が舞台のゆ虐小説ってあまり好きではないんですよ。大体「畑を荒らすゆっくりを殺す」という流ればかりで、虐待方法はともかくとして流れにバリエーションが無いので。

 

 さてこちらも飼われているゆっくりの話。内容はおちびちゃん(=ゆっくりの子供)を欲しがった飼いゆっくりが子供を作り、散々甘やかしまくった結果酷い目に遭うという物語です。

 これ自体はゆ虐の世界ではありふれたテンプレ展開なんですけど、この小説から伝わってくるテーマは「子供を甘やかしてはいけない」とかそういう話ではないんですよ。

 

 最後まで読んだ人ならわかると思いますが、この物語は「我が子を甘やかす親」という存在を通して「人生は楽じゃない」「しかし努力を怠って快楽を求めていても快楽はより遠のいてしまう」という世の厳しさを伝える内容になっているんです。

 割とこの作者さんの作風はそういったテーマのものが多く、言ってしまえば作品ごとに面白さの当たり外れはあれど大体伝えるべきものは安定して伝わってきます。

 

 さてこの作品の本編について。

 言ってしまえばこれも「ヒヨドリの幸せ」と同じく飼い主があまり有能ではなかったというパターンに該当します。ゆ虐に慣れてる人ならわかると思いますが、ゆっくりに穏便な方法で人間の正当性を理解させるというのがまず無理なので。

 それでこの話はどんどん子煩悩な馬鹿二匹がずるずると泥沼に沈んでいくような構成になっており、底に辿り着いた辺りでようやく「あ、泥沼だこれ」と気付くわけです。

 

 この作品最大の見所は馬鹿共が泥沼の底に触れる瞬間ではなく、沈む過程にあってもまだ「ここは泥沼じゃない」と主張し続ける滑稽さと醜悪さだと思います。

 非常に残酷な話をするとこれってゆっくりという架空のキャラクターだけでなく、現実の人間にも当てはまる部分があるんですよね。ブラック企業勤めで辞めるべきと友人などに言われても仕事を続ける社会人などが好例です。

 つまり「逃げ道があるのに大変な環境に身を置き続ける」という選択肢は幸福を人生の主題とした場合、変則的な形式での怠惰になってしまうんですよ。それをこの物語に登場するゆっくり夫婦は理解していなかった。一生懸命教育している親、という幻想を自分達に見続けてしまったわけです。

 

 まあ作者さんが本当にそういう事を伝えたかったのかは本人と話した事ないんで全部推測ですけどね。

 私はそう感じた、という話でした。

 

 

◆「家族のあいどる末っ子れいみゅ!」

 

https://www26.atwiki.jp/ankoss/pages/526.html

 

 さて4つ目にご紹介しますのは、森の中にあるゆっくりの群れを舞台とした物語。こちらはこちらでゆっくりの親子が主役となります。

 先に忠告しておくと今回紹介する中で個人的に一番エグい話だと思っていますので、そこは読む際に踏まえておいてもらえれば。

 

 話は群れの長を務めるゆっくりぱちゅりーが、とあるれいむに「おちびちゃんをたくさん産みなさい」と言うところから始まります。それを聞きいれたれいむが番となったまりさとの間に子供を産むわけですが、末っ子のれいむが足りないゆ(言わばゆっくりの障害児)で夫役のまりさや他の子供達が微妙な顔になるんですね。

 で、母親のれいむは「そんな差別するのは良くない」と言うんですが結果的に彼女の行動は障害児である末っ子を極端に甘やかす方向に集中してしまいます。

 そこから悲劇に繋がっていく、というのが物語の主な流れです。

 

 もうこの時点で嫌な雰囲気が漂っているかと思いますが、私はこの作品を非常に高く評価しています。

 

 というのもこの話の主題って、多分ですけど“狂気”なんですよ。地の文がまるで絵本の読み聞かせみたいな文体なのも相まって、末っ子の気味悪さが際立っている。その中で母親のれいむはその末っ子こそを特別可愛がっている。

 端的に言って主人公は「一般的な感性において気持ち悪いとされる親子」なわけです。

 そんな気持ち悪い親子によって周囲が迷惑を被り、結局最後には……という話。

 

 何というか、読んでいる最中私は正しい形でこの親子に嫌悪感を抱けていたと思います。これを読んで不快感を覚えるという方が自分以外にも一定の割合でいるのだとも。

 

 ではちょっと考えてみましょうか。

 その嫌悪感は現実にも適用され得るものか?

 

 例えば電車の中で微笑みながらブツブツと車掌の真似事を口ずさむ人を見てあなたは幸福を得られるのか。嫌悪感を抱かないと誰よりも自分の精神に向けて言い切れるのか。

 これは障害者差別を助長させようという意図は一切なく、単に綺麗な言葉を抜きにして本音で言います。私はそういう人を見ると目を逸らして口にはしないまでも内心で「うるせえな黙れ」と思うんですよ。障害者相手だろうと健常者相手だろうと同じ事やってりゃ同じくそう思うのでこれは差別になりませんね! やったあ!

 

 このゆ虐小説が持つ真の狂気はそこなんですよ。

 地の文では末っ子の異常性に関する具体的な描写はしても、末っ子れいみゅを貶めるような言葉は一切書かれていません。最後まで機械的に、事実だけを伝え続けます。

 つまりそこに生じる嫌悪感は100%読者の内部から生じたものという事です。さて、あなたはこの小説を読んで最後まで家族のあいどる末っ子れいみゅをかわいいと思えるでしょうか? 私は初っ端の時点で無理でした。

 

 まあ私が感想として抱いたのは「異端に対する嫌悪感は倫理・道徳でどうなるもんでもねえんだな」ってなところです。別に嫌悪感を抱かずにいられるならそれが一番なんでしょうけど、社会じゃ厳しかろうなあ……。

 それと「嫌悪感を抱かずにいられる者同士はどのような関係を築けるか」も物語終盤で描かれています。全てがああなるわけじゃないとは思いますが、一例としてまあああいう展開もあるのかなあ、と。

 

 

◆「ゲスとでいぶのあったか家族」

 

https://www26.atwiki.jp/ankoss/pages/3156.html

 

 最後にご紹介しますのはこちら。またも群れの中での親子を主軸とした話です。

 先に言っておきますと、ちゃぶ台返しみたいになってしまって恐縮なのですが主要キャラが酷い目に遭いません。これは今回紹介した中で唯一コミカルな話となっています。

 

 内容は有能なゲスと無能なでいぶ(肥え太ったれいむ種のゆっくりを指す言葉)が子供を数匹作り、そいつらが群れの中で暮らしていくというものです。

 これはネタバレというほどでもないので結末に触れてしまうと、子供達が親元から自立するまでの過程を描いています。肝心な部分は伏せますが、本当にこの終わり方は綺麗で尚且つゆ虐と呼ぶには平穏な結末でした。

 

 なので爽快感とは別に「アホだなあ」「ひでぇ奴だな」という面白おかしい気持ちで読み終える事ができるのですが、その上でこれは初心者向けとは言えない作品でもあります。

 だってここまで紹介してきた4作品みたいなのがどちらかというと多数派に属するんですよ、ゆ虐って。そりゃ普通に可愛いキャラクターとしてのゆっくりを愛でる方専門の人とかもいますけどね。

 加えて「じゃあこの作品はゆっくりが良い思いをする話なのか」というとそれも違います。真っ当なクズから生まれた子供が真っ当にクソみたいな教育を受けるものの結果的に真っ当に育つという話です。言わばギャグです。別に微笑ましい話でもない。

 

 なのでゆ虐を知らずにこの記事を読み進めてきた人はこれを読むなら最低でも上記4作品を読み終えてからにすると良いでしょう。多分その頃にはこっち側にどっぷり浸かってる状態でしょうし。

 

 

◆終わりに

 

 基本的に私は加虐嗜好があるというわけではありません。そもそもただ対象を痛めつけるだけという作風の作品は、ゆ虐の中であろうと何であろうとあまり高く評価していないんです。

 

 私にとって最大の評価点は作者が何を物語に込めたかです。

 

 なのでカタルシス、教訓、面白おかしさなどを含んだ作品をここまで紹介してきました。まだまだオススメのゆ虐小説はあったんですが5作品まででやめときます。キリが無いので。

 ここまでニッチな趣味の記事を読んでくださってありがとうございました。ゆ虐は漫画や同人ゲームなどもありますので、興味がありましたら調べてみても良いかもしれません。

 それではまた次の記事でお会いしましょう。