不在の巣

なろうで小説を書かせてもらっている馬込巣立のブログです

人間なんてラララ

 こんにちは。馬込巣立です。

 

 ブログ記事四回目という事で、今回は社会の話をさせてもらおうかなと思っています。

 

 正直最近そんな記事にするほどのニュースがあったかというとやや時期的に微妙な感じだったので、何も考えず「ニュース」の四文字だけで検索して適当なサイトを閲覧していたんですね。

 

 そしたら何と申しましょうか、若干同情したくなるニュースを見つけてしまいまして。

 

 以下に記事を添付します。

news.livedoor.com

 

 まあ要するに「滅びる寸前まで来てたトラ一頭が人間の罠にかかって死んだ」って話なんですけど。死んだのが繁殖可能な雌個体であった事もポイントの一つと言えるかもしれませんね。

 

 絶滅危惧種云々を度外視しても「犬派か猫派か」と問われれば猫派である私としては非常に心苦しいと共に、少し考えさせられる記事でもあったんです。

 

 記事には「野生のスマトラトラは400頭に満たない」と書いてありますが、滅びそうとわかってはいても野生は野生として過ごさせてるんですよ。別に「かわいそうだから守ってあげよう」とはなってないんです。

 それなら今回のケースもかわいそうではあるものの、人間という動物の居住領域拡大にスマトラトラの住処が巻き込まれたというある種自然現象の一環に過ぎないんじゃないかなと。そう思えばそこまで憂える程の事ではないんじゃないか、などと思ってしまうんですね。

 

 じゃあなんで逐一「絶滅しそうだ!」「死んでしまうのは残念だ!」ってなるのかなと。

 家畜でもペットでもない動物の生き死にを人間が勝手に悲しむのも傲慢じゃないの、と私の中のなんか偉そうなのが呟くわけです。

 でも自分は猫派なので普通に悲しい。画像見るとわかるんですけどスマトラトラって普通に可愛い動物なんですよ。

 

 どうして家畜として食べるわけでも作業を手伝わせるわけでもないのに、動物の生き死ににあーだこーだ言ってしまうのか?

 どうしてトラ一頭が罠に引っかかって死んだだけでニュースになるのか?

 道端で野良猫一匹死んでても大して話題にならないのは何故か?

 

 ぶっちゃけ利益に繋がるか否かで物事を見てるからだと思うんです。

 

 人間にとってその辺うろついてる野良猫もスマトラトラも本質的な価値はきっとそんなに変わらないんですよ。ただ滅びそうかまだまだ生きてられるかって違いがあるだけで。

 私だってちょこちょこ歩く豚の映像とかを見て「おお、何だよ可愛いな豚のくせに」と思う一方で普通に豚肉食べますからね。今日の夕飯でも焼きそばの具材に豚肉を使いました。

 要するに動物はどこまでいっても動物であって、数が多いか少ないかと人間にとって有益か不利益かというのが重要なんでないかなあと。実際、絶滅危惧の生き物がいるからこそ食っていけてる学者さんもいるでしょうし。

 

 逆に人間は人間をとことん手厚く保護し、繁殖に繁殖を重ねていますよね。

 調べてみたところ、地球上の人口は今や76億人を超えているのだそうです。ちょっと前、2011年3月に放送されていた魔法少女まどか☆マギカで「今現在69億人」とキュゥべえに言われてたのが7年で7億人も増えてるんです。

 エネルギー資源も食糧も居住可能区域の面積も限られている中で、それでも人々は増え続けます。

 そんな中でも、パン屋や回転寿司屋のまだ食べられるであろう廃棄品はボロボロとゴミ袋に放り込まれて捨てられていきます。

 若い世代は返って来ない可能性の高い年金を誰とも知らない年寄りの為に支払い続け、老人は若者にお荷物扱いを受けながらベッドに寝かされチューブを繋げられ死ぬ事も出来ず……。

 

 あんまり人間保護の話を詰めて考えると優生思想に辿り着きそうで怖いのでこの辺にしましょう。どうしてこんな話題に踏み込んだんだ自分は。

 

 とにかくスマトラトラについてですが、どうにも毛皮目当てに密猟されたり住まいである森林を伐採されたりと人間による保護を謳われている半面で人間の被害を被っているようです。何度でも言うけど普通にかわいそう。

 

 一応日本でもスマトラトラを何ヵ所かの動物園で飼育しているようなので、せめてそちらは安らかな人生ならぬスマトラトラ生を送って欲しいものです。これも人間としてのエゴっちゃエゴですが。

 

 矛盾するような言い回しになりますが、せめて自分以外の為にも自分勝手で在りたいものですね。

 何だかニュースの内容について触れるみたいな趣旨とは違う気がしますけどもう良いです。そこまでこのブログを真面目に書いてないんだおっさんは。

 

 現場からは以上です。それでは、また。