不在の巣

なろうで小説を書かせてもらっている馬込巣立のブログです

私刑との向き合い方

 こんにちは。馬込巣立です。

 

 最近、Twitterで漫画家の山本さほ先生がとある漫画を投稿して話題になりました。

 曰く「世田谷区のイベントに講師として呼ばれたものの、担当職員から杜撰な対応を受けた」というものです。

 

 私もその漫画を読ませていただいたのですが、まあ相当ひどかったようで。その漫画を読んでいない、そして調べて読むのが面倒という方向けにその対応の悪質ぶりを箇条書きで説明します(山本先生の漫画の内容をまんま追っかけてのものですが)。

 

・山本先生が事前に送っておいたデータを紛失しておきながら悪びれもせず「え、持ってきてないんですか?」と発言する

・担当側のミスで発生した店のキャンセル料を山本先生のギャラから差っ引こうとする(「何で!?」と訊かれた担当職員曰く「店に連絡しなかった山本先生も悪い」)

・打ち合わせでの約束(コピーは市の担当職員がやっておくというもの)を反故にする

・実は山本先生のギャラは予算から場所代を引いた額だったと店側に確認して判明

 

 とまあこんな具合で簡単に言えば担当職員が人間のクズだったわけです。

 

 で、結果として世田谷区区長や議会議員の方が謝罪したり対応に追われたりとしつつ、世田谷区そのものの火消し作業は現在進行形で行われているみたいなんですね。

 

 さてこの問題、自分は「担当職員もこっぴどく怒られただろうし今頃周りの職員にも白い目で見られて針の筵かなぁ。クビとまではいかなくてもペナルティが無いわけ無いし」くらいに思っていたんです。

 どんだけ人間として不出来でも公務員となれば国はそれなり優しくしてくれるでしょうから、こちらとしてはモヤモヤが残るものの軽めの処罰と人間関係のアレコレに留まるんじゃないかな、と。

 

 でも彼に降りかかる現実はそれ以上に過酷なものとなりました。

 

 まず、こんな記事があります。

 

news.livedoor.com

 

 要するに例のめっちゃ悪質な対応をした担当職員ですが、現在ネット上で彼の個人情報の特定が進んでいるようです。

 

 ていうかちょっと調べたら「この人じゃないか?」くらいの認識とはいえフルネームと年齢と出身地と区役所内の所属とTwitterのアカウントと顔まである程度絞り込まれているみたいですね。ネット怖い。

 

 結果的に彼を待ち受けているのは懲罰ではなく見えない人々からの私刑だったわけです。作られた物語のように示唆的な流れで、私なんぞは憐れむ以前に感心してしまいました。

 

 で、私がこの「態度の悪い職員の個人情報がネットでばら撒かれる」という事態を見てどう思ったか。

 

 

 一言で言うなら「誠実な対応しとけば良かったのにアホだなぁ」という感想を抱きました。

 

 

 社会という大きなコミュニティの中で明確に悪い奴を追い詰めてボコボコにするという今回のような動きは、どう足掻いてもなくなりません。

 そもそも弱者を集団で攻撃するって人間の本能みたいなもので、これは残酷だとか人権侵害だとかよりも集団の存続効率という観点から語らないと攻撃する側を抑制できないと思うんですよ。

 で、今回叩かれてる区の職員はぶっちゃけ別に死のうがいなくなろうが社会的な影響は極めて微細なので歯止めがきかないんです。

 

 個人を特定して攻撃するという行為自体は咎めたところでどうしようもない。となればこれって自然現象と似たようなものなので、自分達が巻き込まれないように事前に対策しておかなければならないんですよ。前もって非常食を用意しておいたり建物の中に消火器や懐中電灯を設置しておくようなものです。

 

 普段子供が大人から教わる道徳って、そうやって使うものだと思うんですね。

 

「あいつは悪い奴だから何しても許される!」という人に向けて反論として放つ武器ではなく、「あいつは悪い奴じゃないから引き際を弁えよう」と相手に思わせる防具なんだと私は思っています。

 実際今回のケースも先に述べたように職員側が誠実な対応をしておけば叩かれなかったはずなんです。

 それが不誠実な対応をした結果ボコボコにされているってのはもう自然淘汰みたいなもんじゃないですか。じゃあ仕方ないよねと。諦めようねと。そう言うしか私にはできない。

 

 この集団の動きを乱暴と評する人もいるでしょうし、私自身も理屈では「しゃあない」「どうしようもない」とわかってはいるんですけど山本さほ先生ご本人が恨みを込めて復讐するならまだしも三者が出しゃばるのは違うんじゃねえのとは強く思います。

 しかしここでそういった乱暴な人に道徳を説くのは根本的に間違いなんですよ。それよりかはインターネット上で晒し者にされている担当職員の方を反面教師として、大人としての振る舞いを学ぶ方がよっぽど生産的なくらいです。

 

 道徳は他人に押し付けるのではなく身につけるものですから。

 

 そんなこんなで、今回は真面目な記事を書いてみました。やっぱり人格面での評価を得るというのも賢さの一つなのだなと再確認した気分ですね。

 現場からは以上です。